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バッハ無伴奏チェロ組曲

最近チェロの音色に惹かれている。
というか、ようやくチェロの音色の良さが分かる歳になったということか。

聴いているのは、定番のバッハ無伴奏チェロ組曲。
図書館でCDを借りてきてiTunesに取り込んで聴く。
巨匠カザルス、ロストロポーヴィッチ、トルトゥリエ、フルニエ、シュタルケル、マイスキー、ヨーヨー・マ、・・・etc
相性がいいのはトルトゥリエだ。

聴いているとPCの音ではなんか物足りなくなってくる。
真空管アンプにMcIntoshのスピーカーをつないだらどんな音が出るんだろう。
そんな環境で一度聴いてみたいものだ。
# by maco4459 | 2008-11-15 01:18 | 音楽

観音様/船越保

2年前、船越さんのHPで見つけて、メールで譲っていただけますかと尋ねたら快諾してくださった。

支払いを済ませる前に作品を送り届けてくださった。
船越さんのお人柄がわかったような気がした。

船越さんが陶芸の世界に入ったのは40歳を過ぎてからだった。
それまではバイクなどのデザインの世界にいた。
家庭も持っていた。
あまりに思い切った転身だ。
『自分には必ずできる』、そんな強い確信がなければできない決断だ。

船越さんの作品のフォルムには洗練されたキレがある。
それは決して他を拒絶するようなものではなく、逆に暖かく包み込むようなものだ。
おそらくバイクのデザインの時代に培った感性と山野草などの自然を愛でる気持ちが融合して生まれたものなのだろう。
禅的な風韻は座禅や書にも取り組まれていることからも伺い知ることができる。

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# by maco4459 | 2008-11-15 01:18 | 陶芸

ぐい呑み/倉田鉄也

5年前に個展で購入。一目惚れだった。
器体内部に星のように金色に輝いているのが長石の粒。

どうしても欲しかったので月賦にしてもらった。
そのとき受付にいたのが今は亡き奥様の恒子さんだった。
『陶芸好きですか?』と尋ねられ、
『はい。思い通りにうまくいかないところが好きです』と応えた。
『ああ、いいですね』静かに微笑んでくださった。

倉田さんの一年前の個展にお邪魔したら、一角に奥様の絵手紙のギャラリーが設けられていた。
見た目涼しく、心は熱く』真っ赤な花の絵手紙に添えられていた言葉。
奥様の人となりを顕わしていた。

奥様の葬儀のとき、倉田さんは『窯出しのとき、一番に見てもらう人を亡くしてしまった』
と涙したそうだ。

今でも、そしてこれからも倉田さんの窯出しのとき、天高くから奥様が見守っている、そんな気がする。

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倉田鉄也さんのブログ
# by maco4459 | 2008-11-15 01:16 | 陶芸

石田三成の高麗茶碗

『高麗茶碗/林屋晴三(平凡社)』の巻末に高麗茶碗使用史年表がある。
 年表を辿っていくと、三成所有の茶碗が4点あることがわかる。

1590年  きょうけんのはかまノ茶碗  石治部(所持者) 宗凡(会期名)
1594年  高麗茶碗            石田治部少輔   宗湛  
1597年  高麗白茶碗           石田治部少輔   宗湛
1599年  高麗茶碗            石治少        宗湛 

三成は豊臣政権下では五奉行の筆頭で秀吉の側近中の側近であり、高価な茶碗を手に入れるに足る権力も財力を有していたであろうし、また当時の茶会はいわば政治サロンとして、現代の政治で言えば赤坂の料亭のような役割も果たしていたから、茶碗を所有するということは「商売道具」を自ら備えておく、という意図もあったのかも知れない。

しかしながら、
わたしは三成が4点もの高麗茶碗を所有していた理由はそれだけでなく、芸術としての茶の湯、とりわけ高麗茶碗に心惹かれていたからではないかと思っている。
それは次のような逸話が残っていることからも想像できる。

関ヶ原の合戦を目前に控えた慶長5年(1600)の9月、鵙屋宗庵(満代屋宗庵)が大垣城に三成を訪ね、陣中見舞いを申し述べた。三成は大いに喜び、かつて宗庵から三百金を出して購った茶器「唐来肩衝」を取り出して宗庵に託してこう言った。
『もし、このたびの戦で運がないときには、この名器も灰燼となり、虚しくなってしまう。今、之をそなたに返す。自分が討ち死にしたと聞いたときには、これで朝夕茶を点てて、我がために追悼の心を寄せてもらいたい。もしも、このたびの戦で運があったときには、再び相当の価格で買い戻すゆえ』
関ヶ原の戦後、この名器を欲した家康が宗庵の行方を捜させたが、宗庵の行方は沓としてわからなかった。 ようやく宗庵を博多で黒田長政が探し出して「唐来肩衝」のことを訊ねると、
『この茶入は三成公より譲り受け、形見として三成公を弔っていたが、今はこれまでである』と語った。
長政は「唐来肩衝」を宗庵より召し上げて家康に献上した。

太閤検地や朝鮮の役で兵站奉行を務めた三成は怜悧な合理主義者というイメージが強い。
日々の多忙な政務をこなす彼の頭の中は大名の石高や兵や鉄砲などの数的データで一杯だったはずだ。
芸術としての茶の湯の世界は実利とは対極に位置するもの。
三成の住む世界にそれを受け入れる余地はあったのか。

彼の住む現実世界の対極に有る茶の湯の美の世界。
その茶の湯の世界こそ、彼の多忙な日々の中で唯一の慰めであり喜びではなかったか。
茶碗の口縁に故郷・湖北の山々の稜線を重ね合わせ、見込みの中に琵琶湖が山裾に広がる様を思い浮かべて、暫しの安寧の瞬間(とき)に浸っていたのかも知れない。
# by maco4459 | 2008-11-15 01:14 | 歴史

ブログ開設しました。

生まれてこのかた、日記を書くのには何度も挫折しているので、続けていけるか不安。
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ブログの題名『我が師は半泥子』について。
半泥子は東の魯山人、西の半泥子と称される陶芸家:川喜田半泥子のこと。

この人は伊勢の名士であり大銀行の頭取でもありながら、地位や権力に拘泥せず、『秋晴れやおれはロクロの廻るまま』と飄々と唄を詠みながら、颯爽と昭和の時代を駆け抜けた。
『願わくば半泥子のように生きたいものだ』、そんな壮大な理想を掲げてみた。

笑われてもいいか。自分のブログなんだし。

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# by maco4459 | 2008-11-15 01:07 | ごあいさつ