人気ブログランキング |

秋田の切支丹遺物

天草四郎の陣中旗に似た絵が描かれている掛け軸
e0161650_12151988.jpg

本物の陣中旗
e0161650_1222577.jpg

# by maco4459 | 2016-11-14 12:15 | 歴史

音楽とは音を楽しむこと

Nathan Chanの伸びやかな感性に大いに刺激を受ける。
せっかく生まれてきたのだから、好きなことを思いっきりやらなきゃ
神様に申し訳ないと思う。




# by maco4459 | 2016-11-04 15:17 | 音楽

Be yourself no matter what they say

『I love you.』

英語教師だった夏目漱石は『今宵は月がきれいですね』と訳したのだとか。

今朝、車を運転していたら、ラジオでStingの『Englishman in NewYork』がかかっていた。

『Be yourself no matter what they say』というフレーズが耳に残った。

さて、夏目漱石だったらこれを何と訳すのだろう。

『桜のようでありたいものですね、人も』ではどうか。

何故、桜なのか。

『先生、ちょっと意訳が過ぎませんか?』

と生徒に尋ねられるかもしれない。

漱石先生は意訳の意図を優しく説明する。
『人は桜を見て、懸命に咲く、咲き誇ると表現します。
私はそうは思いません。
桜は自分が咲くこと、花をつけることを知り、その時が来れば加減もせず
力むこともなく、すべきことを淡々としています。
誠実に凛と咲き、潔く散る。
人の生き方で例えるなら何とも美しいものではないでしょうか。
誰かが見ていようと、見ていまいと、何と言われようとも自らやることを黙ってやる。
私もそんな風に生きたいと思っていますが、なかなか難しい。
どうです?
あなたもそんな風に生きたいと思いませんか』
# by maco4459 | 2015-11-08 11:50 | 随想

草生津川逍遥

秋田市の寺内を流れる草生津川沿いの小径は、毎年秋になると目にも鮮やかな色とりどりの秋桜(コスモス)の花々が、まるでこの時を待っていたかのように一斉に咲き誇る。花々の表情は生命感に溢れて躍動し至福感に満ちている。
 秋桜の花びらの色は赤、ピンク、黄、オレンジ、ローズと多彩でまばゆくきらめき、まるで宝石箱をひっくり返したかのようだ。いつもこの小径を通るたび、不思議だったのは、目につく花びらの色、そのひとつひとつの光に得も言われぬ力があり、まるで何か意志があるかのように感じられることだった。それだけでなく、さらに何かを切々と語りかけているかのようにも思えた。想いを巡らせているその刹那に閃いたのは、まだ私が学生であったとき、父がふとした会話の中で発した『八橋の草生津川周辺にはむかし刑場があった』という言葉だった。もしかしたら、かつて刑場の露と消えた名も無き人々の魂が秋桜に姿を変えて咲いているのかも知れない。その想いはその日からしばらくの間打ち消そうとも消えずに残った。
e0161650_21171743.jpg

 それから図書館に通い郷土史の本で草生津川刑場と切支丹の関係を調べてみた。わかったことは江戸時代初期にはこの地に確かに刑場があり、幕府の発布したキリスト教禁教令により、秋田藩の多くの切支丹が殉死したという事実だった。
 この事実を知ってから、物言わずとも命の限りに精一杯咲く秋桜の花々が、私には前よりも一層健気で愛おしく思えた。何か自分の出来る事で彼等の魂を慰めることはできないものか。
 私は粘土を捏ね、殉死した切支丹の鎮魂を祈りながら観音像を造った。
そしてある晴れた日の早朝、川原に咲く秋桜の花々の中にそっと観音様を置き目を閉じて合掌した。私はこの観音像を秋桜観音と名付けることにした。

e0161650_1022144.jpg

地霊(ゲニウス・ロケ)という言葉がある。その土地に宿る霊のことだ。地霊はその地に住む人々の魂に浸透し、独特の風土を形成していく。多くの人々が生まれ育った故郷を愛し、懐かしむのは自分の魂の中に地霊が宿っているからなのだろう。江戸時代の切支丹の殉教は悲しい負の歴史であるかも知れない。
しかしながら、一途に神を信じて生を全うした切支丹の魂はきっと地霊となって私たちの魂に何かを語りかけているに違いない。その声に耳を傾けながら生きていきたいと思っている。
# by maco4459 | 2015-10-10 21:10 | 日々のこと

今を生きる

『今』のその判断がベストであるように、
これからの『今』を生きること。
それが『今』の自分にできること。

# by maco4459 | 2015-10-03 08:25 | 随想