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半泥子と老荘

半泥子は、老荘、とりわけ荘子の思想に共鳴していた。
地方銀行協会の専務理事であった田部井俊夫が、戦時中かなり年配であったにもかかわらず招集された。
樺太にいた田部井に半泥子は『無関心であれ、運命に従順であれ、それによって心の自由が得られる』という内容の手紙を送った。

   三方も 四方も 丸く おさまりて めでたき 事の 重ね餅哉     半泥子

荘子の話の中で私が憧れるのは無何有郷である。
寂絶無為の地、つまり、音も無く、眺めも無く、仕事も無く、何も考えなくて良い世界。
これが理想の境地だと荘子は説く。

無は即ち極まりなし、有は即ち尽くるあり。
だから無は広大無辺。
なんとも希有壮大な話だが不思議と心が安まるところがある。

半泥子の生き方を辿っていくと老荘の思想が垣間見えるのである。
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by maco4459 | 2011-05-28 23:57 | 川喜田半泥子

もんしろう陶展

40歳でフリーカメラマンから陶芸家に転身した入義紋四郎さん。
秋田市のあっけら館で個展が行なわれている。
お茶を飲みながら、いろいろ楽しい話を聞かせていただいた。
カメランマンだった頃はフランスの傭兵部隊の写真なども撮っていたそうだ。
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飄々とした好々爺に見えるが、修羅場を幾度もくぐり抜けてきた人の地金の強さみたいなものを感じた。
ちょい悪オヤジなんて言葉が流行っていたが、この人は筋金入りだ。
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秋田には何度か来ていて、私の知り合いとも繋がっていて、『世間はせまいな〜』と二人で言葉を合わせた。
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今回の個展のテーマは『沈黙(しじま)の花』
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もんしろうさんは『静寂の中の生命の律動を表現しようと製作している』と語っていた。
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別れ際、『何か聞きたい事があったら訪ねてきなさい』と温かいお言葉をいただいた。
今度お会いするときまで『これ、オレの作ったヤツです』と胸を張って言えるようなものを作りたいナ。
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by maco4459 | 2011-05-20 22:33 | 陶芸

松韻窯、松本先生、永遠に。 

窯主 松本健司さんがこの3月に急逝されたことを案内状ではじめて知った。
享年48歳。あまりにも早すぎる旅立ちだった。
窯主のいない工房展。
これが松本先生の遺作展となってしまった。
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若いときからどこか老成した方だった。
構えの無い鷹揚なお人柄は老若男女誰からも愛されていた。
奥行きの広い考えをされる方だった。
一緒に話をしていて楽しくて、いつしか時を忘れたこともあった。
窯のメンテナンスや焼成方法などでよく相談に乗っていただいた。
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何年か前の個展のとき、手ぶらで帰るのも何だか忍びなくて、ぐい呑みを一つ買い求めたことがあった。
先生は『まあ、そんなに焦って選ばなくてもいいじゃないですか〜』とまったく商売気がなかった。
私が本当に気に入って買い求めた物でないことを見抜いていたのかも知れない。
今思えばとても失礼なことをしたような気がする。
でも先生はまったく気にしてはいないようだった。
私はそんな先生のお人柄が好きだった。
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ここで先生とお茶を飲みながら語らった、あの日の事が懐かしい。
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人はいつか必ず死ぬ。自分はそのとき何を遺せるんだろうか、
そんなことをふと思った。
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この窯で人生はじめての窯焚きを体験したのが昨日のことのようだ。
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秋田で陶芸で食べて行く。家族を養っていく。
どれほどのご苦労があったのだろうか。
とても量り知れない。
しかし、それを微塵も感じさせない春風のように穏やかな居住いだった。
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奥様の話では、その日の朝の先生は、本当にいつものように新聞を広げて横になっていたのだそうだ。
いつまでも眠っているので、ふざけているのかなと思ったらしい。
そして、そのまま永遠に帰らぬ人となった。
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引き出物の注文で4月に焚いた窯の作品の出来がよくて、次回の窯に強い意欲を持たれていたそうだ。
『本当にこれからと思っていたのに…』声を詰まらせる奥様に掛ける言葉が見つからなかった。
残された奥様とご子息のこれからの人生が幸多いものでありますように。
合掌。
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by maco4459 | 2011-05-07 21:21 | 陶芸

木瓜(ぼけ)の咲く日に

我が家の庭の木瓜が咲きました。
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木瓜で思い出すのは漱石の『草枕』の一節です。

…ごろりと寝る。
帽子が額をすべって、やけに阿弥陀となる。
所々の草を一二尺ぬいて、木瓜の小株が茂っている。
余が顔は丁度その一つ前に落ちた。
木瓜は面白い花である。
枝は頑固で、かつて、曲がったことはない。
そんなら真直かと云うと、決して真直でもない。
只真直ぐな短い枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体ができあがっている。
そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安関と咲く。
柔らかい葉さえちらちら着ける。
評してみると木瓜は花のうちで愚かに悟ったものであろう。
世間には拙を守ると云う人がある。
この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。
余も木瓜になりたい。

『余も木瓜になりたい』
拙を守る人、小手先の技巧を弄することなく、愚かな生き方をかたくなにつらぬくこと。
漱石は己の志向する生き方を木瓜の花に重ねたのでしょう。
《木瓜咲くや漱石拙を守るべく(明治三十年作)》

…こうやって、煦々たる春日に背中をあぶって、縁側に花の影とともに寝ころんでいるのが、天下の至楽である。
考えれば外道に堕ちる。
できるならば鼻から息もしたくない。
畳から根の生えた植物のようにしてじっとして二週間ばかり暮らしてみたい。

漱石と想いを一にした春の日でした。
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by maco4459 | 2011-05-05 21:05 | 日々のこと