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一つの美術館が消えようとしている
その名は秋田県立美術館。 別名を平野政吉美術館という。 秋田市の再開発計画によってこの美術館は取り壊され、近隣に改築移転されることになっている。 ちなみに新美術館の設計は安藤忠雄氏が予定されている。 この消え行く秋田県立美術館の建物を惜しむ声が増えつつある。 なぜならばこの美術館は平野政吉と藤田嗣治の友情の証だからである。 知人の陶芸家・倉田鉄也氏も今日の地元紙朝刊に寄稿していた。 藤田嗣治はフランスで一番有名な日本の洋画家。 平野と藤田は堅い友情で結ばれていたので、藤田のコレクションとしては国内有数の規模を誇る。 どの位置にどの絵を飾るか、平野は入念に考えたのだと言う。 秋田の美術教育の黎明期を支えたのもこの美術館だった。 この美術館は県内の作家が育つ土壌にもなった。 開館から10年以上も敷地内には『平野美術研究所』と呼ばれたプレハブ小屋があり、子供から 社会人まで美術を志す人々が集った。 その美術館が消えようとしている。 ![]() 藤田嗣治『花の洗礼』 ■
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by maco4459
| 2010-02-22 22:45
| 日々のこと
晩酌の量は多いほうではない
最後の〆は睡眠導入剤として焼酎お湯割り これが定番 愛用の盃は信楽・加藤隆彦さんの筒盃である ![]() 最近気付いたのだが、呑み口が ♡ のマークになっている 加藤さんの意匠なのだろうか? ![]() 購入したギャラリーのオーナーさんの話によると加藤さんの作品は信楽ということになっては いるが、実際限りなく伊賀に近いのだという。 そういえば伊賀の緋色が出ている気がする。 信楽と伊賀は山一つ隔てた場所なのだ。 購入したとき共箱に入っていなかったので、ちょっと不満に思ったが、結局『愛用は箱要らず』 になっている。 ■
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by maco4459
| 2010-02-21 22:22
| 日々のこと
とうとう厄年を迎えることになった
近所の神社で厄払いを済ませてきた 独りで 同級生と連れ立ってその後、飲み会に突入という企画もあった だが、独りで行きたかった 今回は 太宰の小説ではないが『恥多き人生を歩いてきました』 自慢出来るものも誇れるものもないが、家族に恵まれ、多くの支えてきてくれた人に感謝したい これまで歩んできた人生という道の途中で 知らずに傷つけてきた人に 『ごめんなさい』 知らずに助けてもらっていたかも知れぬ人に 『ありがとうございました』 そして今、自分を支えてくれている人に 『これからもよろしく』(^^) ![]() ■
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by maco4459
| 2010-02-21 12:11
| ごあいさつ
今宵は藤田長夫さんの粉引きの盃で神龜上槽中汲を。
この盃は結構ボリュームがあるだが、手取りは驚くほど軽い。 それゆえ酒が進む。 神龜は口に含むと得も言われぬ苦みと辛みが口の中に広がる。 言うなれば人生の苦み辛みであろうか? 若き日の忸怩たる失敗、失恋のほろ苦さ、伝えられなかったあの人への想い・・・ 酒滴が喉をとおるときキリリとした刺激がある。 その余韻を残しつつ、この美し酒は五臓六腑にじんわりと沁み渡っていくのである。 ![]() ■
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by maco4459
| 2010-02-18 20:45
| 日々のこと
粉引きや唐津の焼物は使えば使うほど風合いがよくなると言われている。
器を育てる楽しみ、である。 粉引きは雨漏りと呼ばれる景色となり、斑唐津は酒によって器体に品格が生まれる。 両者の古陶が高く評価される所以だろう。 そういえば我が家にも斑唐津があった。 浜本洋好さんの作である。 大切に共箱にしまっておいても器は喜ぶまい。 器を愛でることは使うことだ。 ふと、そんな当たり前のことを思いつき、酒を注いだ。 美味い。 器がいいからか? ![]() そういえば地元の酒屋さんの店主のブログにこんなことが書いてあった。 なんでも酒癖が悪くてどうしようもない輩がいて、店主が彼に自分の惚れ込んでいる吟醸酒を 呑ませたところ、行儀が悪くなることはなかったとのこと。 器にも同じことが言えるのかも知れない。 この盃で酒を呑んだら誰もが気持ちよく酔えるはずだ。 きっと。 ■
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by maco4459
| 2010-02-16 00:32
| 日々のこと
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by maco4459
| 2010-02-14 00:02
| 日々のこと
ほんとうの“くろ(玄)”は真っ黒ではない、という考え方が、私にはたいそう気に入る。
一歩手前でやめる、という、そのあとの一歩に無限のはたらきを残し、 それはわが手のなすところではなく、天地自然、神、宇宙、とにかく人間のはかり知れない 大きな手にゆだねる、そういう考え方が好ましい。 好ましいが、一歩手前がまことにむつかしい。(篠田桃紅) あるとき、まだ陶芸を始める前のことだったと思う。 友人から陶芸に詳しい人を紹介してやるから、いろいろ話を聞いてみてはと言われて、その方に会った。 その方は若い頃、陶芸の魅力に取り憑かれて、脱サラしてどこか窯場で修行して帰秋したとのことだった。 『プロは同じものを何百、何千と作って同じ形、同じ色を再現出来なきゃいけない、それがプロとアマの違い、君にそれをやる覚悟があるかい?』 と言われた。 確かにお客さんからオーダーがあったらそれを確実に忠実に再現できなければ商品にはならない。 そのときは大いに納得したのだった。 それから自分で陶芸を始めるようになると、その言葉に何か違和感を感じるようになっていた。 『本当にそうだろうか?』と。 少なくとも自分の志向する陶芸のスタイルではないな、と。 半泥子は土に向って『おまえはどういう形になりたいんだい?』と対話しながらロクロを引いていたという。 窯に入れたらあとは窯の神に身を委ね、ケセラセラ。 土と炎を人間の力の及ばぬ大きなものに委ねる。 神聖なる儀式のようでもある。 その意味で半泥子の作陶の姿勢と篠田さんの書に向う姿勢は相通じるものがある。 手を加えないことで、うまくいくことがある。 道に窮して『あとは神様にお任せ!』と目をつむって歩を進めたら視界が開けていた。 人生においてもそんな場面がいくつもあった。 ![]() ■
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by maco4459
| 2010-02-07 16:38
| 随想
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by maco4459
| 2010-02-06 12:15
| 川喜田半泥子
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