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カテゴリ:日々のこと( 93 )

人生初 Gamba!

ずっと胸に温めていた夢が実現した。
Viola da Gamba(ヴィオラ・ダ・ガンバ)に出会えたのだ。
出会えただけでなく、なんと演奏することができた。

ガンバの存在を知ったのは丸山陶李さんのエッセイを読んだときだ。
かれこれ10年前にもさかのぼるだろうか。

ヨーロッパの古い弓奏楽器であるガンバは、通常6本の弦とフレットを持ち、完全4度をベースにした調弦である。
楽器の構成・構造上は弓で引くギターと言って差し支えないだろう。
ガンバが最も栄えたのはシェークスピアが活躍したエリザベス朝のイギリスであり、
また踊りの名手であった太陽王ルイ14世のブルボン朝のフランスであった。

秋田にガンビストがいることを偶然知ったのは去年のことだった。
秋田県立大学の御室哲志教授である。

創造楽習という学部生・大学院生向けの課外教室で『ヴィオラ・ダ・ガンバを弾いてみよう』という講義があることを知り、無理を承知で聴講をお願いしたところ、『大歓迎です』と言うご返事をいただいたのである。

『聴講』のつもりで大学に伺ったのだが、御室先生から『弾いてみませんか?』と声をかけられた。
一瞬『!』となったが、せっかくの機会なので大学院の学生さん3人と一緒に弾かせていただいた。

旅の恥はかき捨てという。
今は人生という旅の途中だと自分に言い聞かせる。
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大学生に戻ったような気分だった。
(いや、あの当時は何に対してもシラケていた不良学生だったナ)
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私の演奏は羊かカエルの鳴き声のようなレベルだったと思う。
が、アンサンブルで『An Italian ground』を弾いたとき一瞬ではあったが音がピタリと調和した。
このときは身体が震えるような快感だった。
『やっぱり音楽って素晴らしい!』060.gif
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今日だけワタシもガンビスト(^^)♪
御室先生、ありがとうございました。
by maco4459 | 2011-06-07 23:31 | 日々のこと

木瓜(ぼけ)の咲く日に

我が家の庭の木瓜が咲きました。
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木瓜で思い出すのは漱石の『草枕』の一節です。

…ごろりと寝る。
帽子が額をすべって、やけに阿弥陀となる。
所々の草を一二尺ぬいて、木瓜の小株が茂っている。
余が顔は丁度その一つ前に落ちた。
木瓜は面白い花である。
枝は頑固で、かつて、曲がったことはない。
そんなら真直かと云うと、決して真直でもない。
只真直ぐな短い枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体ができあがっている。
そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安関と咲く。
柔らかい葉さえちらちら着ける。
評してみると木瓜は花のうちで愚かに悟ったものであろう。
世間には拙を守ると云う人がある。
この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。
余も木瓜になりたい。

『余も木瓜になりたい』
拙を守る人、小手先の技巧を弄することなく、愚かな生き方をかたくなにつらぬくこと。
漱石は己の志向する生き方を木瓜の花に重ねたのでしょう。
《木瓜咲くや漱石拙を守るべく(明治三十年作)》

…こうやって、煦々たる春日に背中をあぶって、縁側に花の影とともに寝ころんでいるのが、天下の至楽である。
考えれば外道に堕ちる。
できるならば鼻から息もしたくない。
畳から根の生えた植物のようにしてじっとして二週間ばかり暮らしてみたい。

漱石と想いを一にした春の日でした。
by maco4459 | 2011-05-05 21:05 | 日々のこと

時に海を見よ

幸いにして秋田の被害は軽微なもので、
私にとっては停電による寒さをしのぐことに苦労するくらいでした。

それでも心配して電話やメールで安否を尋ねてくださったみなさまに心からお礼申し上げます。
丸山陶李さんからの電話には感激しました。
ありがとうございました。

尊い命を落とされた多くの皆さまに心からご冥福を祈ります。
家や家族を失って避難所で不自由な生活を送っている皆さまのことを思うと心が痛みます。
原発や余震の恐怖で不安な日々を過ごされている皆さまもおられることと思います。

私もしばらく何もする気が起きず、ぼーっとしていることが多かったのですが。
微かな春の日射しに励まされて、ようやく、ぽつぽつと気力が湧いてきたような気がします。

3月は卒業式のシーズンですが、震災の影響で、多くの学校が卒業式を中止しているようです。

過日、立教新座高校の渡辺校長先生のメッセージを偶然ネットで拝見し、あまりに素晴らしいお言葉なので、
ここに転記させていただきます。私も大きな勇気をいただきました。



卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。


未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」と題し、配布予定の学校便りにも掲載した。

その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。

これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 

楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。


中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

  立教新座中学・高等学校

    校長 渡辺憲司
by maco4459 | 2011-03-22 09:02 | 日々のこと

遊べや遊べ、もっと遊べ

バイオミミクリーという言葉をご存知でしょうか?
生物模倣工学と訳すのが一般的だと思います。
同じような意味でネイチャー・テクノロジーという言葉もあります。

生物の体の構造や生態を応用して環境に負荷のかからない工業製品生み出す技術です。
以前からこの分野に興味を持っていたのですが、この分野の第一人者である東北大の石田秀輝教授が
秋田に来られたのでお話を聴いてきました。
周りはスーツ姿のビジネスマンばかり、普段着の私は場違いな感は否めませんでしたが、まあいいんじゃないかと思いました。

だって演題が『遊べや遊べ、もっと遊べ〜環境も人も豊かにする暮らしのかたち〜』ですから。

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by maco4459 | 2011-01-29 14:54 | 日々のこと

ぷちかまくら

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地球温暖化って本当なんでしょうか?
毎日すごい雪です。
我が家の庭も大変なことになっています。
除雪の息抜きに子供と一緒にかまくら灯籠をつくってみました(^^)v
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舞い落ちる雪の蛍が綺麗です。

そう言えば、自分が子供だったころ、家の裏庭に父親が除雪した雪を集めてそり遊びの坂を
作ってくれたことを思い出しました。

時は流れて今自分が息子に同じことをしているのって、なんか不思議です。
彼も遠い将来、同じことをするのでしょうか。
そうあって欲しいものです。
by maco4459 | 2011-01-24 14:36 | 日々のこと

大晦日に

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2010年も終わろうとしています。
お世話になったみなさま、ありがとうございました。

私にとって今年の一番の出来事はやはり、丸山陶李先生の井戸茶碗『俄羅奢』と出会えたことです。
これはまさに僥倖と言うべき出会いでした。

今年1年の帰し方を、つばらつばらと振り返りつつ、俄羅奢でお茶を一服いただきました。

丸山陶李先生のブログ
by maco4459 | 2010-12-31 22:19 | 日々のこと

倉田さんの窯に行ってきました

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昨日ちょっと遊びに行ったら偶然にも窯に火を入れたところでした。
マーラーでしょうか?心が高揚するような交響曲のCDを大音量でかけていました。
これから6日間不眠不休で窯たきをするのだそうです。
23日からの個展に向けてとても忙しそうでした。
倉田鉄也さんのブログ
by maco4459 | 2010-12-13 21:28 | 日々のこと

晩秋の深浦海岸

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冬の日本海は人を寄せ付けない厳しさを持っている。
その厳しさに不動明王が一喝して悪を振払うかのような清潔感を感じる。

鉛色の雲の隙間からかすかな虹色の光が慈雨のように温かく地平に降り注ぐ。
冬の日本海は想いを深くして見れば驚くほどに表情豊かだ。
by maco4459 | 2010-11-06 23:59 | 日々のこと

草生津川のコスモスロード

コスモスの日だまり
ここではまるで
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時が流れるの惜しんでいるかのように
光のプリズムと心地よく戯れている
by maco4459 | 2010-09-26 14:45 | 日々のこと

愛す珈琲

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毎日暑いですね。
でも朝晩の虫たちのうたごえは秋の気配を感じさせます。
by maco4459 | 2010-09-03 22:58 | 日々のこと