カテゴリ:読書日記( 24 )

一色一生/志村ふくみ

著者は日本を代表する染織家。

志村さんは、とある会合で齢80を越えた老陶芸家と出会い、感銘を受けた言葉をノートに記しておいた。

・下手ハネバル。上手ハキル。名人ハハナレル。

・日本の古典を基礎にやったが、これはみんな新しいものだ。伝統というものは生命の継承であって、古いものの繰り返しではない。それは伝統ではなく因習である。人間は父にも似ているが、母にも似ている。しかし父でもなく母でもない。新しい命である。新しい命はその時代に成長し、闘って時代とともに進展してゆく力を持っている。伝統は日々新しい闘いを続けていて成長するものである。

・窯の中の火を見ていると、1200℃以上になると茶碗が大きくなったり、小さくなったりして呼吸している。そうなれば確かだ。温度計でそれは計れない。

・陶土を混ぜることはしない。その土の特色が消えるから。その土の一番良い状態を引き出す。

・轆轤にかけたらその土のなりたがっているように手を添えてやる。

志村さんは『これらの言葉は、私が植物から色を引き出すのと全く同じだった』
と本書の中で述べている。
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志村さんの出会った老陶芸家、もしかして半泥子だったのではないか・・・?
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by maco4459 | 2008-12-06 21:10 | 読書日記

則天去私

夏目漱石の『こころ』が高校の現代国語の教科書に載っていたのを覚えている。
当時はこの小説の何がいいのか、そして何故この作者がが日本を代表する文豪として高く評価されているのか、さっぱり理解出来なかった。

それもそのはず、高校時代の私は西洋文学にどっぷりとはまっていたからだ。
トルストイの『復活』、モームの『人間の絆』、ホーソンの『緋文字』、ディケンズの『デヴィッド・コパーフィールド』、 ブロンテの『ジェイン・エア』・・・etc

日本文学には全く興味がなかった。というかどこか辛気くさいイメージがあって敬遠していたのだ。

今、思うと喰わず嫌いだったのかも知れない。

漱石を読み始めたのはここ3、4年前のことだ。
『坊ちゃん』から読み始めて、『草枕』、『私の個人主義』、『こころ』、『明暗』、『それから』、『三四郎』、『門』、 『彼岸過迄』、『行人』、『道草』、『夢十話』・・ほとんど読んだ。

日本人に生まれてよかったと思った。
日本語の持つ音の美しさを見事に表現している。
ことば一つ一つをあたかも音譜のように巧みに配置し、流麗な旋律として紡ぎだしている。
漱石の文学は音楽なのである。
『草枕』では特にその印象を深くする。

漱石の文学はエゴイズムの文学と評される事が多い。
主人公の自我をそれこそエックス 線で照射するかのように浮き彫りにする筆致を評してのものだろう。

しかしながら、漱石本人は他者には温容で細やかな心遣いのできる優しい人だった。
反面、自分にはあまりに厳しく内省的だったため晩年は胃潰瘍を患う。
エゴイズムに苦しんだのは漱石本人であったのだ。

もがき苦しむような自我との格闘の中で到達した境地が『則天去私』だった。
弟子であった安倍能成は則天去私を『私を去って天に則り、現前の事々物々に円転滑脱に応酬すること』と解釈した。
漱石は安倍に対して『今自分の前に急に自分の娘が一ツ目小僧になって現れてきても驚かないような心境になりたい』と語ったという。



即天去私について 武者小路実篤あての書簡   大正四年六月十五日

文芸評論をよんでくださった由、ありがとう。
道草もよんでくださるようで感謝いたします。

お手紙を拝見いたしました。私はたしかにあの文章を見ました。
しかし少しも気になりませんでした。
それは自分のものでないからかもしれませんが、ああいうところへ出るものは好い加減な出鱈目に近いことが多いというのが大理由かと思います。

しかし間違いはだれしも嬉しくはありません。
ことにあなたのような正直な人から見れば厭でしょう。
それを神経質だといって笑うのは、そのうちにある正しい気性を理会し得ないスレッカラシのいうことです。
私はあなたに同情します。

けれども、私はあの記事を取り消させるだけの権力は持ちません。
あれを書いたものおよび編輯者はたといそれが誤謬だと知っても、わざわざ取り消すにはあまりに小さすぎるという考えで、ごたごたしたほかの雑事に頭を使うことだとうと思います。

この際、私のあなたのためにできることはあの手紙を社に送ってあなたの趣意を了解させたうえ、あとの処置はあちらの適宜にまかせるということだけのように思われます。
私はあなたのためにそれだけの手続きを尽くします。
私はこれからあなたの手紙を社会部長の山本松之助君まで送って、よろしく頼むと言ってやります。

私もあなたと同じ性格があるので、こんなことによく気を腐らせたりしました。
しかし、こんなことはいつまで経っても続々出てきて際限がないので、近ごろはできるだけこれらを超越する工夫をしております。

私はずいぶん人から悪口やら誹謗を受けました。
しかし私は黙然としていました。
猫を書いたら多くの人は翻案か、または方々から盗んだものを並べ立てたのだと解釈しました。
そんな主意を発表したのさえあります。

武者小路さん、気に入らないこと、癪に障ること、憤慨すべきことは塵芥のごとくたくさんあります。
それを清めることは、人間の力ではできません。
それと戦うよりもそれをゆるすことが人間として立派なものならば、できるだけそちらのうほうの修養をお互いにしたいと思いますがどうでしょう。

私は年に合わせて気の若いほうですが、近来ようやくそっちの方角に足を向けだしました。
時勢は私よりも先に立っています。
あなたがそちらへ眼をつけるようになるのは今の私よりもずっと若い時分のことだろうと信じます。
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by maco4459 | 2008-11-24 00:21 | 読書日記

城下の人/石光真清

櫻井よしこのブログで紹介されていたので、図書館で借りてきて読み始めている。
とても読みやすい文体で書かれているので、読んでいてページが進む。
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司馬遼太郎の『坂の上の雲』も同時代について書かれものだが、こちらは途中で挫折したため完読していない。
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by maco4459 | 2008-11-15 01:20 | 読書日記

虚数の情緒/吉田武

高校二年まで数学は得意科目だった。
大学は理学部の数学科志望だった。
しかしその後、数学の成績は急降下。それなりに努力はしていたつもりなのに。
結局、二次試験で数学が無い理学部の学科に進んでしまった。

何故だろう?
きっと導出過程なんか無視してひたすら公式を丸暗記したこと。じっくりと個々の問題に腰を据えて取り組まず解法のテクニックという小手先の技術の習得に走ったためだろう。
努力の方向が違っていたのだ。

あの時、こうしていればよかった。
今の自分なら、あの時の自分に助言してやれるのに。
そんなことが少なくない。
数学もその一つだ。
この夏から人生の敗者復活戦に臨むことにした。


『虚数の情緒/吉田武 著/東海大学出版会』は「中学生からの全方位型独習法」という副題が付いている。
およそ1000ページにもおよぶ大著だ。
じっくり腰を据えて読もうと思っている。
急ぐ必要はない。
息子が中学生になるまでに読み終えればいいのだ。
入学祝いに手垢や傍線をいっぱいつけて親父からの贈り物にしよう。
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by maco4459 | 2008-11-15 01:19 | 読書日記