カテゴリ:読書日記( 24 )

きりしたん算用記/遠藤寛子

『また変なことやってる』
家人のあきれた顔をなるべく見ないようにして、私はこの本を自宅のプリンタでコピーしていた。
なにしろこの本の存在を知った時は絶版となっていて(最近文庫になって復刊したようだ)秋田県内の図書館にも蔵書はなかったのでお隣の岩手県の盛岡市の図書館から取り寄せてもらったのだ。

表紙から全ページをコピーしてでも手元に置いておきたい本にはめったに出会えない。
それだけの価値を私はこの本に見いだしたのだ。

遠藤寛子さんの温もりのある文章が好きだ。
この『きりしたん算用記』も遠藤さんの子供に対する温かいまなざしを感じる本である。
中村秀明さんの挿絵も遠藤さんの志を汲んだ素晴らしい絵である。
最近復刊になった本の表紙は中村さんの絵ではなくなっていた。
時代とともに変わらなければいけないことはある。
だが変えてはいけないこともあるような気がする。
この本の表紙は中村さんの絵でなければならないと私は思う。

私の好きな本はもはや絶版になっているものが多い。
良い本は装丁から書体にいたるまで本に関わるすべてのことが一つの哲学で貫かれている事。
売れる事を最優先するのではなく、読み手に伝えたい魂が籠っている本。
そんな本が好きだ。
そんな本が少なくなっていることが哀しい。
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by maco4459 | 2013-01-25 13:18 | 読書日記

唐津の陶片が秋田にも

『秋田陶芸夜話』小野正人著/加賀谷書店 昭和53年刊

古い本だ。

唐津の陶片は考古学的にも、そして骨董品としても珍重される。
古唐津の復元に取り組まれている陶芸家にとっては教科書だ。
故・西岡小十さんはその泰斗だった。

その唐津の陶片が秋田でも出土していたという。
能代の檜山城趾、矢島の福王寺跡、亀田町赤尾津城趾、そして秋田市の手形山の窯跡からも。
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by maco4459 | 2010-03-02 11:26 | 読書日記

不便なことは素敵なこと/桐谷エリザベス

桐谷エリザベスさんは東京下町に住み、古き良き日本の文化をこよなく愛している。
彼女が何故日本の下町に住むことになったのか?

すべては旦那さんの桐谷逸夫さんとの出会いからはじまる。
エリザベスさんはアメリカ・ボストンの名家に生まれハーバード大医学部出身である。
そんな彼女が選んだ逸夫さんとは果たしてどんな人物なのか?

世界的権威の医者?敏腕弁護士?名門財閥の御曹司?
答えはNOである。

二人が出会った当時、逸夫さんはまだ無名の画家だった。
髪の毛をボサボサに逆立て、奇妙な組み合わせのあちこち擦り切れた服を身にまとい、茶色い縁の眼鏡は片方のレンズが割れていて、
セロテープで止めてあった。
身なりも奇妙で経済的にも恵まれていなかった。

しかし逸夫さんは人間としてとてもユニークで魅力的な人物だった。
逸夫さんがエリザベスさんの心を射止めたのは真の教養を備えていて、創造的でとても自由な心を持っていたからだろう。

二人の歩んできた人生、そして今の暮らしを読んでいて、本当に豊かな生活とは富や名声、財産などの外的条件ではなく、
自然を愛し、国を愛し、そして周囲の人々を愛することから生まれてくる極めて内面的なものだと気付くのだ。


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by maco4459 | 2010-01-17 17:51 | 読書日記

ローライフレックスの時間/藤田一咲

世の中、効率化、デジタル化の時代だが私はどちらかというと、非効率、道草、アナログ礼讃派である。
近ごろ、『表現』の手段としての写真に大いに興味を持っている。
この本は二眼レフカメラのローライフレックスを紹介したもの。
いつの日かローライフレックスを手に厳冬の北海道をローカル列車で旅したいものだ。
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by maco4459 | 2009-12-06 10:31 | 読書日記

求めない/加島祥造

求めない
 すると
  求めたときは
   見えなかったものが 
    見えてくる
     (本文80〜81Pより)
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加島さんはもともとは著名な英文学者でポーやフォークナーの翻訳で有名な人である。
近年は老子の自由詩で新たな境地を切り開いている。
その自由でのびやかな思想は渇いた大地に降り注ぐ慈雨のように心を潤してくれる。
私にとって加島さんの著書は読むヒーリングアイテムである。
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by maco4459 | 2009-12-01 10:20 | 読書日記

うさんくさいことやらな、おもろない

『自然について、私の考えを話そう。』(山と渓谷社)

この本は登山専門誌『山と渓谷』の連載「自然へのまなざし」のインタビュー集である。
そうそうたる面々が登場する。
安藤忠雄(建築家)、大岡 信(詩人)、森 毅(数学者)、養老孟司(解剖学者)、横尾忠則(画家)・・・。

インタビュアーの若菜晃子さんは、あとがきで次のような感想を述べている。
『実際に先生方にお会いしてお話をうかがっていると、かぎられたわずかな時間のなかで必ず、光り輝く言葉に出会うのである。その言葉は、それぞれの方がそれぞれの生き方をされるなかで生まれた言葉であり、その方でなければ言えない言葉である。私は一介のインタビュアーとして、生きた言葉を実感することができ、本当に幸運であった』

一番面白語ったのは河合隼雄(臨床心理学者)さんのインタビューだった。
河合さんと若菜さんのボケとツッコミのような会話はほのぼのとして笑ってしまう。
鷹揚な京都人の河合さんの答えはつかみどころがないように思えるが実は核心を衝いている。

 - 自分を知ることは世界を知ること。
河合 うんうん、そうなるんとちがう。
 - でもそんな、だいそれたこと(笑)。自分なんか・・・・たいしたことないですし。
河合 そんなことないですよ。そりゃあ、あんたの知ってる自分はたいしたことない。
 - ひどい(笑)。
河合 ひどいって、あんた自分で言うたやないの。ただ賛成しただけや(笑)。
   僕だって自分の知ってる自分なんて本当にたいしたことないけど、それを超えたものという のはすごいと思いますよ。
 - 自己というレベルで。
河合 そう。それを自己というか、たましいというかは人によって違いますけど。
 - でもそれがたましいによる、いわれてしまうと私などには、なにかちょっと・・・・・。
河合 うさんくさい。
 - はあ(笑)。
河合 うさんくさいことを知って使ってるんですよ。わざとね。そんなん、うさんくさいことやってんねんから、うさんくさいこと   やらな、おもろないですよね。
   心理療法家なんて、看板からしてうさんくさいでいしょう。だから皆さんその覚悟で来られるんですね(笑)。そうやないの   はあんた、匂いのしないチーズ売ってるようなもんですよ(笑)。そうでしょ。うちのチーズは無臭で味もありませんが栄養   によろしいって、そんなん書いたってだれが来ますかい(笑)。
 - そんなとこで自慢されても(笑)。
河合 僕だってわからないですからね。わからないから、あまりにも人生というのはわからないか ら。その自分のなかの、わからな   い部分というのを非常に大事にしている。人間はわからないことをあえて入れ込んで生きているんですからね。今の人はみん   な、わかった、と思う人が多すぎるんですよね。なにもかもわかっていると思って生きているから、なにもかもおもろくなく   なってくる。
 - 先生の考え方の基本はおもろいか、おもろくないか。
河合 そうそう、それだけ。それ以外のメルクマール(目印、指標)はないの(笑)。正しいか正 しくないかとか、なんかためにな   るかとか全然だめ。おもろないのはいかん。おもろいことやっていったら、正しいことがわかってきて、ますますおもろなる   んです。
 - なるほど。  

インタビュアーの若菜さんは最後に次のような感想を述べている。
『先生にお話をうかがってからは自分のたましいの存在を認識し、ときおりみつめるようになった。それは私にとって、ものすごく、大きな変化であったと思う。自分の知っている自我だけでなく、わからない自己を大切にすると、なんとなく生きやすくなったように思うからだ』

『うさんくさいことやらな、おもろない』 いい言葉だな。。。。
河合さんは残念ながら故人となられたが、村上春樹、白洲正子、小川洋子などの諸氏とも対談している。これらも興味深い。機会があったら読んでみたいものだ。

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by maco4459 | 2009-07-10 23:22 | 読書日記

素数夜曲/吉田武

整数論の入門書。
買った動機は著者のコラムが秀逸だから。
内容はまだチンプンカンプン。
良き教師は生徒の『学びたい』という心に火を付ける。
一旦、心に火がつけば、それがダイナモになって勝手に学び続けていくものだ。

人は自ら学ぶ事によって真の教養を身につける。
やらされる勉強では真の学力は身に付かない。

学生時代にこの本の著者である吉田武氏の一連の著作に出会いたかった。
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by maco4459 | 2009-05-17 17:46 | 読書日記

やきもの読本/小野賢一郎

初版が昭和6年刊の古本。

最近古い本を良く読む理由は、書き手が虚飾を廃し、読み手に媚を売ることもなく真意をストレートに伝えるものが多いからだ。

活字も旧字が多く、文も口語体で難読なのだが、そのくらい歯ごたえがあるほうがいい。
最近の『猿でも分かる〜』、『初めての〜』、『三日でわかる〜』、みたいな本にはいささか食傷気味なのである。
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by maco4459 | 2009-05-01 13:02 | 読書日記

ゆびあと/小嶋千鶴子

ルーシー・リーの図録をヤフオクで購入しようと思って検索したら思いがけずこの本に出会った。
なぜだが引き込まれるようにして買ってしまったが、今では絶対手放したくないほど気に入っている本になっている。
作風はルーシー・リーを模倣したもののようだが、彼女の作品はオリジナルを凌駕している。

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by maco4459 | 2009-04-18 16:04 | 読書日記

『いき』の構造/九鬼周造

いつだったか、ある落語家が語っていたことばが記憶にある。
『「いき」ってのは行きっぱなしで、帰りがねえんだよ』

九鬼はこの本の中で、「いき」の第三の微表は『諦め』であるとしている。
『諦め』とは、すなわち運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心であるという。

九鬼はさらに続ける。
この『無関心とは』世智辛い、つれない浮世の洗練を経て、すっかりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟酒として未練のない恬淡無碍の心である。

「いき」は垢抜けがしていなくてはならぬ。
あっさり、すっきり、瀟酒たる心持ちでなくてはならぬ。

『野暮は揉まれて粋となる』というのはこの謂にほかならない。
婀娜っぽい、かろやかな微笑の裏に、真摯な熱い涙の痕跡を見つめた時に、はじめて「いき」の真相を把握し得たのである。


落語家の言葉の『行きっぱなし』というのは自分の行為や発言の行く末を指し、帰りと言うのは『返り』、すなわち相手からの『見返り』を指すのだろう。

「いき」な身の処し方とは、自分の発言・行為によってもたらされる結果、運命に必要以上に執着・拘泥しないことなのだ。

これは夏目漱石の説く『則天去私』の生き方に通じるものがある。
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by maco4459 | 2009-03-09 23:35 | 読書日記