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『いき』の構造/九鬼周造

いつだったか、ある落語家が語っていたことばが記憶にある。
『「いき」ってのは行きっぱなしで、帰りがねえんだよ』

九鬼はこの本の中で、「いき」の第三の微表は『諦め』であるとしている。
『諦め』とは、すなわち運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心であるという。

九鬼はさらに続ける。
この『無関心とは』世智辛い、つれない浮世の洗練を経て、すっかりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟酒として未練のない恬淡無碍の心である。

「いき」は垢抜けがしていなくてはならぬ。
あっさり、すっきり、瀟酒たる心持ちでなくてはならぬ。

『野暮は揉まれて粋となる』というのはこの謂にほかならない。
婀娜っぽい、かろやかな微笑の裏に、真摯な熱い涙の痕跡を見つめた時に、はじめて「いき」の真相を把握し得たのである。


落語家の言葉の『行きっぱなし』というのは自分の行為や発言の行く末を指し、帰りと言うのは『返り』、すなわち相手からの『見返り』を指すのだろう。

「いき」な身の処し方とは、自分の発言・行為によってもたらされる結果、運命に必要以上に執着・拘泥しないことなのだ。

これは夏目漱石の説く『則天去私』の生き方に通じるものがある。
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by maco4459 | 2009-03-09 23:35 | 読書日記
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