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ではまた明日/西田英史

『ではまた明日』
著者・西田英史君は毎日の日記の最後をこの言葉で終わる。

明日がある、それは彼にとっては当たり前のことではなかった。
末期ガン患者だったからだ。
まだ18歳なのに。

私たちは夜眠るとき、明日が来る事に何の疑いも持たず目を閉じる。
しかし明日がないかも知れないという恐怖を持ちながら眠りに就く人も存在するのだ。
そのことをこの本を読んで再認識させられた。

5月4日の日記の冒頭はこうだ。
『朝起きた。生きていた。全世界に感謝した』

高校3年生。
大学に入学して物理学を学ぶことを夢見て受験勉強に励んでいた、ある日、脳に悪性の腫瘍が見つかる。

将来への夢や希望に胸を膨らませていた18歳の少年に突きつけられた現実は、あまりにも重いものだった。
だが彼は家族や周囲の人に心配をかけまいとして、力を尽くして努めて明るく振る舞う。
その健気さが心を打つ。

7月1日の日記から。
『そして今日、あることを決意した。明るく生きようということだ。これを至上命題にして日々精一杯生きよう。症状が悪化したときや絶望に陥ったとき、不安になると思う。泣きたい時は泣けば良い。でも、そうじゃないときは努めて明るく振る舞おう。空元気と言われようが何と言われようが、1日を明るく生きよう』

闘病中の家族との関わりの中で、少年から大人へ心の成長していく過程も日記から伺い知る事ができる。

8月18日の日記から。
『母に「まず、赤の他人なら、ある所に病人がいても、大変ねえ、ですましてしまい、とてもその人を助けるまではいかない。あなたは、助けてくれる人への感謝の気持ちがない」と言われた。泣き出しそうになるのをグッとこらえて、その話を聞いていると確かにそうだ。自分の欠点は、自分ではなかなか気付かないものだ。親のいるありがたみを感じる。指摘されている時は辛くても、いつかそのことを感謝する時がくるのだろう。子供の時は、なんてうるさいんだ、絶対にこんな大人になんかなるもんか、なんて思っていた。言い方に多少の問題はあるが、いろいろ言ってくれたほうが、そのときは辛いことでも後で役に立つことが多い。最近になってそれが分かってきた』

11月21日の日記から。
『父と喧嘩した。ここ数日、どうも調子が良くなくて、感情的に荒くなっていたとも言えるし、父が疲れていたのも恐らく事実だろう。かなり激しい言い合いをした。いつものように涙を流して応戦した。伝えたかったことはすべて言ったつもりだから、その点について特に不満があるわけではないが、泣いてしまったのはいただけない。自分を責める必要はまったくないが、今後の努力目標の一つになる。この点は俺の幼い部分だ。少々頭が切れていても、大人の最低条件を満たしていないようでは、長い人生、苦労の連続だ。自分に対するやるせなさ、他人の自分に対する思い違いや無理解が気持ちを高揚させ、涙までいってしまう。他にも何か原因があるのだろうか、暇な時でも考えてみることにしよう。喧嘩はしたけど、父をはじめてする家族のみんな、感謝しています。よーし、明日も明るく生きるぞ!!』

この日のことを父親の祐三さんは次のように述解している。
『この日の喧嘩の原因が何であったのか正確には思い出せない。この時期、自分の仕事が忙しくて帰宅が遅いため英史と接する時間が少なく、現実の症状の進行を楽観しすぎていたきらいがあった。そういう父親の態度に英史は常に自分の病状を把握してもらいたいためか、「もう少し家族のことを考えろ」と意見し、それに対し「いや十分考えている」反論したことがあった。いずれにいろ、この11ヶ月の闘病と看護主体の生活の中で私たち家族は互いに数回、激しい口論をした。あるときは親子喧嘩であったり、またあるときは兄妹喧嘩であったりした。英史が感情をなるべく胸にためずに外に出して家族に接しようと考えていたからであろう。また、私たちは患者が家族に無理な要求をし、それに盲目的に家族が従うような雰囲気はとことん避けよう、それがかえって患者と家族の間に溝をつくらず、強い絆を築くだろうと思っていたからである』

英史君が日記の中で遺した言葉は、生きること、幸せとは何かについて多くのことを教えてくれたが、私の胸にもっとも深く刻み込まれたのは次の一文だ。
生きていると、悲しいこと、辛いこと、苦しいことがたくさんある。苦しまずに死ねたらどんなに楽だろうと思うこともある。しかし、悲しく辛い、苦しい世界にいることの何と素晴らしいことか。生きるということは、それ自体がとても楽しいことだ。漠然と、ただ流すように生きてきたこれまでがとても滑稽にみえる。幸せは目の前に転がっているのに、それに気付かないで遠くばかりを探していたなんて

そして11月26日、最後の日記。
『今日は調子が悪くて午前中1時間ほどソファーに倒れて、ビバルディの「春」を聴いていた。疲れが残っていて、気持ちが悪かったためだ。今日1日それを引きずって気分が重たかったが、ノルマだけはこなした。えらい、えらい。ついに車椅子登場。このつづきは明日。みんなありがとう。頭を動かすと目が回って平衡感覚を失うけど、努めて明るく生きれた。ではまた、明日も明るく』(日記はここで終わっている)

母、真弓さんは英史君の言葉を短歌に詠んでいる。

 『軽いものならまだ大丈夫』と病む吾子は我の洗ひし箸を拭きたり

 壁伝ひヨロッツヨロッツと来し吾子は『胡麻を摺るよ』と厨を手伝ふ

 ベルに呼ばれて駆けつければ勉強終えし子は机の前にぐにゃりと横たわる

 希望を持とういかなる時も希望を持とう我が心に言ひ続けて子を看取る日々

 『僕が亡くなってもよくなっても半年くらいは母さんの健康を頼むよ父さん』

 『18年育ててもらって恩返しできない』とふ吾子に『十分もらったよ』と答える

 不自由な口で吾子は『明るく行こうよ、明るく』泣くのみの夫と我を励ます
 
 『顔見せて』ベッドの吾子は敬礼のポーズでふざける帰り際の我に

 帰り渋る我に『明日までは大丈夫だよ』といふ吾子に目に涙一筋

 18歳の吾子は逝きたり溢れるほどの優しさと強さを我に残して

 いかなる時も平静に病と闘ひし吾子はいくつも我を越えたり 
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by maco4459 | 2009-02-08 00:28 | 読書日記
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