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ホクロは昔の面影/明智光秀の妻

あまたの戦国武将の中で側室を持たなかったのは明智光秀だけであったと言われている。
若いとき諸国を放浪した苦難の日々をともに寄り添い歩いた妻を終生大切にしたのだ。

光秀は信長の有力な家臣であったが謀反を起こし、三日天下の後、山崎・天王山で秀吉に破れる。
彼は武芸にも秀でていたが、茶の湯や詩歌をこよなく愛した教養人だった。

光秀の妻・煕子は近江佐和山で生まれた。
煕子の父は光秀と旧知の仲で、将来有望な光秀に娘を嫁がせることを望んだ。
光秀も同意したので、ごく自然な成り行きで婚約が整った。

いよいよ煕子が光秀のもとに嫁ぐ日が近づいてきた時節、煕子は当時流行っていた疱瘡に罹ってしまい、その美しい顔に痘痕(あばた)が残ってしまった。

こんな醜い顔になってしまっては光秀は自分を愛してはくれまい、と思った煕子は断腸の想いで、父に光秀との結婚をあきらめる旨を告げる。
父は煕子を不憫に思ったが、前途有望な光秀との縁が切れるのも惜しいと思ったので、煕子と姿形の良く似た妹を嫁がせることにした。

輿入れの日、妹と対面した光秀は顔にホクロがないことに気付く。
『そなたは煕子ではない。私が妻に望んだのは煕子である』
妹は姉が疱瘡に罹り、顔に痘痕が残ったので、父の考えで自分が身代わりに嫁いできた旨を告白し、非礼を詫びた。
光秀は、
『容貌など歳月や病気でどうにでも変わるもの。ただ変わらぬものは心の美しさよ』
と語り、妹娘を佐和山に送り返した。

その後、約束通り光秀は顔に痘痕の残った煕子を妻に迎えた。
煕子を愛していたのだ。
煕子は光秀のこの時の愛情を終生忘れず、献身的に尽くしたのだった。
by maco4459 | 2009-01-23 01:06 | 歴史
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