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草生津川逍遥

秋田市の寺内を流れる草生津川沿いの小径は、毎年秋になると目にも鮮やかな色とりどりの秋桜(コスモス)の花々が、まるでこの時を待っていたかのように一斉に咲き誇る。花々の表情は生命感に溢れて躍動し至福感に満ちている。
 秋桜の花びらの色は赤、ピンク、黄、オレンジ、ローズと多彩でまばゆくきらめき、まるで宝石箱をひっくり返したかのようだ。いつもこの小径を通るたび、不思議だったのは、目につく花びらの色、そのひとつひとつの光に得も言われぬ力があり、まるで何か意志があるかのように感じられることだった。それだけでなく、さらに何かを切々と語りかけているかのようにも思えた。想いを巡らせているその刹那に閃いたのは、まだ私が学生であったとき、父がふとした会話の中で発した『八橋の草生津川周辺にはむかし刑場があった』という言葉だった。もしかしたら、かつて刑場の露と消えた名も無き人々の魂が秋桜に姿を変えて咲いているのかも知れない。その想いはその日からしばらくの間打ち消そうとも消えずに残った。
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 それから図書館に通い郷土史の本で草生津川刑場と切支丹の関係を調べてみた。わかったことは江戸時代初期にはこの地に確かに刑場があり、幕府の発布したキリスト教禁教令により、秋田藩の多くの切支丹が殉死したという事実だった。
 この事実を知ってから、物言わずとも命の限りに精一杯咲く秋桜の花々が、私には前よりも一層健気で愛おしく思えた。何か自分の出来る事で彼等の魂を慰めることはできないものか。
 私は粘土を捏ね、殉死した切支丹の鎮魂を祈りながら観音像を造った。
そしてある晴れた日の早朝、川原に咲く秋桜の花々の中にそっと観音様を置き目を閉じて合掌した。私はこの観音像を秋桜観音と名付けることにした。

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地霊(ゲニウス・ロケ)という言葉がある。その土地に宿る霊のことだ。地霊はその地に住む人々の魂に浸透し、独特の風土を形成していく。多くの人々が生まれ育った故郷を愛し、懐かしむのは自分の魂の中に地霊が宿っているからなのだろう。江戸時代の切支丹の殉教は悲しい負の歴史であるかも知れない。
しかしながら、一途に神を信じて生を全うした切支丹の魂はきっと地霊となって私たちの魂に何かを語りかけているに違いない。その声に耳を傾けながら生きていきたいと思っている。
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by maco4459 | 2015-10-10 21:10 | 日々のこと
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