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一歩手前でやめる

ほんとうの“くろ(玄)”は真っ黒ではない、という考え方が、私にはたいそう気に入る。
一歩手前でやめる、という、そのあとの一歩に無限のはたらきを残し、
それはわが手のなすところではなく、天地自然、神、宇宙、とにかく人間のはかり知れない
大きな手にゆだねる、そういう考え方が好ましい。
好ましいが、一歩手前がまことにむつかしい。(篠田桃紅)

あるとき、まだ陶芸を始める前のことだったと思う。
友人から陶芸に詳しい人を紹介してやるから、いろいろ話を聞いてみてはと言われて、その方に会った。
その方は若い頃、陶芸の魅力に取り憑かれて、脱サラしてどこか窯場で修行して帰秋したとのことだった。

『プロは同じものを何百、何千と作って同じ形、同じ色を再現出来なきゃいけない、それがプロとアマの違い、君にそれをやる覚悟があるかい?』
と言われた。

確かにお客さんからオーダーがあったらそれを確実に忠実に再現できなければ商品にはならない。
そのときは大いに納得したのだった。

それから自分で陶芸を始めるようになると、その言葉に何か違和感を感じるようになっていた。
『本当にそうだろうか?』と。
少なくとも自分の志向する陶芸のスタイルではないな、と。

半泥子は土に向って『おまえはどういう形になりたいんだい?』と対話しながらロクロを引いていたという。
窯に入れたらあとは窯の神に身を委ね、ケセラセラ。
土と炎を人間の力の及ばぬ大きなものに委ねる。
神聖なる儀式のようでもある。

その意味で半泥子の作陶の姿勢と篠田さんの書に向う姿勢は相通じるものがある。

手を加えないことで、うまくいくことがある。

道に窮して『あとは神様にお任せ!』と目をつむって歩を進めたら視界が開けていた。
人生においてもそんな場面がいくつもあった。
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by maco4459 | 2010-02-07 16:38 | 随想
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