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caffe gita

湯沢市相川にあるcaffe gita さんに行ってきました。
オーナーの T さんは写真家でもあります。
グァテマラを挽いて頂きました。
明日のモーニングコーヒーが楽しみ。063.gif
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by maco4459 | 2009-07-25 19:50 | 日々のこと | Comments(0)

半泥子の愛した画家

半泥子は村上華岳の絵を愛した。
『村上華岳の画は命を打ち込んだ画也』と半泥子は書いている。さらに
『画は上手下手に非ず。描く者の魂が打ち込んであるかないかの差である』と続ける。
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半泥子は心の純粋な人を愛した。
それが百姓であれ、遊郭の主人であれ、会って心の和む人に会いたがったという。
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by maco4459 | 2009-07-25 09:39 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の茶碗

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数ある半泥子の茶碗の中で私が最も好きなのがこの粉吹茶碗『雪の曙』である。
茶陶には轆轤目、見込み、口縁、高台などに約束事がある。
しかし天衣無縫な半泥子はその囚われを放逸し自由に羽ばたく。

半泥子にとって約束事をきちっと守って作ることはそれほど難しいことではなかっただろう。
それだけの技術は持ち合わせていたからだ。
しかし彼はあえてそれをしなかった。

この茶碗を実際に手にとった千早耿一郎氏はそのときの感想を語る。
『この茶碗を手にして、わたくしはほとんど涙を流さんばかりの思いだった。一見不細工であるにもかかわらず、その茶碗からは、ほのぼのとした何かが立ち上っていた。深い見込み、その深さから立ち上る清冽なもの。あけぼの色のそれを霧と呼ぶべきか、霞と呼ぶべきか。いや、それは精神である、精神と呼ぶべきものである。その精神がわたくしを捉えて離さなかった(中略)わたくしは魂の内奥で茶を喫したのである。深い感動の茶を』
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by maco4459 | 2009-07-22 11:28 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

あじさい

我が家の庭では紫陽花(あじさい)が咲いています。
以前はこの花、思いっきり『和』って感じであまり好きではなかったのです。
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でも最近なんだか惹かれています。
歳をとるってこういうことなんでしょうか。

そう言えば、
小学生のとき休み時間いつも独りで本を読んでいる女の子がいました。
それまでは全然気にならなかったですが、
あるとき、なんだかその居住いが楚々として、いいなと思った瞬間がありました。
そんな感じの『惹かれる』なのかもしれません。

しみじみ。。。
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by maco4459 | 2009-07-20 16:45 | 日々のこと | Comments(0)

ちょっとしたサプライズ

今朝、庭の木々をなにげなく眺めていたら、発見しました。
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息子が1歳の時に町内会からいただいた豊後梅が実をつけていたのです。
6年目で初めて実をつけてくれました。
小学校入学の年に初の実。
ちょっとしたサプライズでした。(^^)v
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by maco4459 | 2009-07-16 11:06 | 日々のこと | Comments(0)

Twilight Relay Concert 2009

街がトワイライトに輝く頃、音楽を愛する人びとがどこからともなく集いあう。
秋田市のサンパティオ大町の中庭で土曜日の夜に行われるコンサート。

  Hさんへ
  いや〜驚きました。
  職場のあなたの姿からは想像できませんでした。
  フォークをやっていることは知っていましたが、ブルースもやるんですね。
  ヴォーカル、そしてハーモニカ、素晴らしいパフォーマンスでしたよ。060.gif
  弾(ハジ)けてましたね〜。そしてとっても楽しそうでした。071.gif
  やっぱり充実したOFFがあるから充実したONが生まれるんですね。
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やっぱり『うさんくさいことやらな、おもろない』001.gif
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by maco4459 | 2009-07-11 22:31 | 日々のこと | Comments(0)

うさんくさいことやらな、おもろない

『自然について、私の考えを話そう。』(山と渓谷社)

この本は登山専門誌『山と渓谷』の連載「自然へのまなざし」のインタビュー集である。
そうそうたる面々が登場する。
安藤忠雄(建築家)、大岡 信(詩人)、森 毅(数学者)、養老孟司(解剖学者)、横尾忠則(画家)・・・。

インタビュアーの若菜晃子さんは、あとがきで次のような感想を述べている。
『実際に先生方にお会いしてお話をうかがっていると、かぎられたわずかな時間のなかで必ず、光り輝く言葉に出会うのである。その言葉は、それぞれの方がそれぞれの生き方をされるなかで生まれた言葉であり、その方でなければ言えない言葉である。私は一介のインタビュアーとして、生きた言葉を実感することができ、本当に幸運であった』

一番面白語ったのは河合隼雄(臨床心理学者)さんのインタビューだった。
河合さんと若菜さんのボケとツッコミのような会話はほのぼのとして笑ってしまう。
鷹揚な京都人の河合さんの答えはつかみどころがないように思えるが実は核心を衝いている。

 - 自分を知ることは世界を知ること。
河合 うんうん、そうなるんとちがう。
 - でもそんな、だいそれたこと(笑)。自分なんか・・・・たいしたことないですし。
河合 そんなことないですよ。そりゃあ、あんたの知ってる自分はたいしたことない。
 - ひどい(笑)。
河合 ひどいって、あんた自分で言うたやないの。ただ賛成しただけや(笑)。
   僕だって自分の知ってる自分なんて本当にたいしたことないけど、それを超えたものという のはすごいと思いますよ。
 - 自己というレベルで。
河合 そう。それを自己というか、たましいというかは人によって違いますけど。
 - でもそれがたましいによる、いわれてしまうと私などには、なにかちょっと・・・・・。
河合 うさんくさい。
 - はあ(笑)。
河合 うさんくさいことを知って使ってるんですよ。わざとね。そんなん、うさんくさいことやってんねんから、うさんくさいこと   やらな、おもろないですよね。
   心理療法家なんて、看板からしてうさんくさいでいしょう。だから皆さんその覚悟で来られるんですね(笑)。そうやないの   はあんた、匂いのしないチーズ売ってるようなもんですよ(笑)。そうでしょ。うちのチーズは無臭で味もありませんが栄養   によろしいって、そんなん書いたってだれが来ますかい(笑)。
 - そんなとこで自慢されても(笑)。
河合 僕だってわからないですからね。わからないから、あまりにも人生というのはわからないか ら。その自分のなかの、わからな   い部分というのを非常に大事にしている。人間はわからないことをあえて入れ込んで生きているんですからね。今の人はみん   な、わかった、と思う人が多すぎるんですよね。なにもかもわかっていると思って生きているから、なにもかもおもろくなく   なってくる。
 - 先生の考え方の基本はおもろいか、おもろくないか。
河合 そうそう、それだけ。それ以外のメルクマール(目印、指標)はないの(笑)。正しいか正 しくないかとか、なんかためにな   るかとか全然だめ。おもろないのはいかん。おもろいことやっていったら、正しいことがわかってきて、ますますおもろなる   んです。
 - なるほど。  

インタビュアーの若菜さんは最後に次のような感想を述べている。
『先生にお話をうかがってからは自分のたましいの存在を認識し、ときおりみつめるようになった。それは私にとって、ものすごく、大きな変化であったと思う。自分の知っている自我だけでなく、わからない自己を大切にすると、なんとなく生きやすくなったように思うからだ』

『うさんくさいことやらな、おもろない』 いい言葉だな。。。。
河合さんは残念ながら故人となられたが、村上春樹、白洲正子、小川洋子などの諸氏とも対談している。これらも興味深い。機会があったら読んでみたいものだ。

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by maco4459 | 2009-07-10 23:22 | 読書日記 | Comments(0)

フロー理論と作陶との相関について

ひとが喜びを感じるということをちゃんと内観的に調べていくと、仕事、遊びにかかわらず何かに没頭している状態であることに気付く。

1960年代に当時シカゴ大学の教授であったチクセントミハイ(M.Csikszentmihalyi)が提唱した「フロー理論」がそれだ。
いかなる報酬も生まない、数多くの活動に没頭するする人びとを調べた結果、その動機付けは内部からこみあげてくる喜びや楽しさであり、それを「内発的報酬」と名付けた。
(ちなみに「内発的報酬」の反対の「外発的報酬」とは金銭、地位、名誉に対する期待や処罰や不名誉に対する恐れを指す)

ミクセントミハイ自身、ロッククライマーであり、それにのめりこんだ経験を持つ。
ロッククライミング自体に何の外発的報酬もなく観客の喝采も期待出来ないのに、命を賭してまで没入する。
それがフローの魅力であることに彼はもしかしたら気付いていたのかもしれないが、それを裏付けるために大勢の人にモニタリングを行い確固たる裏付けをしたのだった。

彼は様々な調査を通じてフロー状態の特徴を次のように見いだした。

 1.行為に集中、没頭している
 2.浮き浮きした高揚感
 3.雑念がほとんど湧かない
 4.時間感覚の喪失
 5.自分自身の感覚を喪失している
 6.その場を支配している感覚。自分が有能である感覚
 7.周囲の環境との調和感、一体感

この状態が極まると深いフローと呼ばれる状態に達することがある。
 
一方それとは別に、あらゆる人の日常生活の中でも、きわめて浅いフロー状態が存在する。
それはボーッとして雑念にまかせている時や、喫煙、意味の無い対話、音楽を聴く、テレビを観る、本を読む、散歩をする、といった何気ない行為の中にある。
チクセントミハイはこれを「マイクロフロー」と名付けた。

「マイクロフロー」は一見、時間の浪費のように見えるが、人間にとってきわめて重要であり、
自発的、創造的、積極的な感情を維持し、敏活さ、くつろぎの源になっている。

私はロクロに向って作陶しているときフローに入っていると実感する時がある。
そんなときは思いもよらず良いものが生まれる確率が高い。
(あくまで自己満足であるが。。。)
 
逆にインテンション(作為、意図)が強すぎてフローに入れなかったときは、お上品すぎて
生命力というか躍動感の溢れたものは生まれにくいようだ。

これは他の芸術分野にも言えるのではないだろうか?
また芸術でなくても創造的な活動全般についても言えるような気がするのである。
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by maco4459 | 2009-07-07 16:43 | 随想 | Comments(0)

蓮花の美しさ

この花の美しさに気付いたのは倉田さんの陶房で咲いているのを見た時だ。
蓮花をこよなく愛する倉田さんは陶房の周りで幾多の蓮を栽培している。
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蓮花は霊性の高い花でヒンドゥー教ではその象徴とされている。
泥から生え気高く咲く花、まっすぐに大きく広がり水を弾く凛とした葉の姿が
俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴のようにとらえられ
このイメージは仏教にも継承された。

倉田さんが何故これほどまでに蓮花に惹かれているのか不思議に思っていた。
あるとき奥様のご実家がお寺さんであることを知り合点がいった。

倉田さんは今は亡き愛する奥様のために蓮を栽培しているのだ。きっと。
倉田鉄也さんのブログ

今年も倉田窯での「蓮花を見る会」が近づいてきている。楽しみだ。045.gif
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by maco4459 | 2009-07-05 18:00 | 随想 | Comments(2)

川瀬巴水の木版画

巴水の存在を知ったのは最近である。
日本の美しい四季風景を詩的かつ洒脱に表現した作風にこころ惹かれる。
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by maco4459 | 2009-07-04 21:47 | 美術 | Comments(0)