カテゴリ:川喜田半泥子( 22 )

半泥子と老荘

半泥子は、老荘、とりわけ荘子の思想に共鳴していた。
地方銀行協会の専務理事であった田部井俊夫が、戦時中かなり年配であったにもかかわらず招集された。
樺太にいた田部井に半泥子は『無関心であれ、運命に従順であれ、それによって心の自由が得られる』という内容の手紙を送った。

   三方も 四方も 丸く おさまりて めでたき 事の 重ね餅哉     半泥子

荘子の話の中で私が憧れるのは無何有郷である。
寂絶無為の地、つまり、音も無く、眺めも無く、仕事も無く、何も考えなくて良い世界。
これが理想の境地だと荘子は説く。

無は即ち極まりなし、有は即ち尽くるあり。
だから無は広大無辺。
なんとも希有壮大な話だが不思議と心が安まるところがある。

半泥子の生き方を辿っていくと老荘の思想が垣間見えるのである。
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by maco4459 | 2011-05-28 23:57 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の井戸茶碗

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銘『さみだれ』

およそ技巧の作為をほとんど感じさせない風情。
後にこの作品を目にするであろう他者を意識した媚やへつらいが微塵も無い。
清列な潔さを感じる。

居合いの抜刀のようにほんの一息でろくろを挽き、ほんの一息で高台を削ったに違いない。
そこから半泥子の精神性が十分に発露している。
精神性という言葉をコスモロジーと置き換えても良い。

細川護煕さんは作陶を『禅的な行為の所産』と表した。
半泥子もまた若き日に参禅の日を重ねたと言う。
名利を求めずただ自らの魂の充足を求めて作陶したのだろう。

(※写真は『陶磁郎31』より転記させていただきました)
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by maco4459 | 2011-01-16 12:53 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の茶碗

大胆で、それでいて繊細でチャーミング。
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by maco4459 | 2010-03-01 23:25 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の書

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白と黒だけのモノトーンの世界。
なのに書に惹かれるのは何故だろう?

墨を摺るときの匂いも好きだ。

この『無茶』という書に半泥子はどんな想いを込めたのだろうか?
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by maco4459 | 2010-02-06 12:15 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

雄渾の刷毛目

一点の迷いや逡巡もない刷毛目。
半泥子の生き方が顕われている。

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by maco4459 | 2009-12-29 15:55 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

オランダ写し

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半泥子は書、陶芸、禅など日本文化を深く愛していたが、かといって西洋を拒絶していた訳ではない。
写真左の水差しは本人が『オランダ写し』と呼んだもの。
モネやルノワールなど印象派の絵を彷彿とさせる雰囲気がある。
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by maco4459 | 2009-12-24 13:31 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の茶杓

銘『うねうね』

およそ茶杓のスタンダードからは逸脱している型。
しかしそこに魂の自由人、半泥子の真骨頂の発露がある。
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by maco4459 | 2009-12-24 12:09 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

炎芸術

私は活字ジャンキーである。
以前はしょっちゅう本屋に行っては欲しい本が幾つもでてきて散財していた。

そこで最近は、なるべく本屋にはなるべく行かず、できるだけネットで買うことにしている。
ネットのオンラインブックスを見ていると確かに欲しい本は出てくるのだが、いつでも買える
安心感があるので、それが散財の抑止力になるのである。

しかし、先日、仕事の合間に書店に入ってしまったのが運の尽き。
まあいろいろと本を買ってしまった。

とは言うものの、これは買わずにいられない。
我が師、半泥子の特集号である。
しかし高いんだよな。陶芸の本って。。。。。014.gif
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by maco4459 | 2009-11-16 23:17 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の愛した画家

半泥子は村上華岳の絵を愛した。
『村上華岳の画は命を打ち込んだ画也』と半泥子は書いている。さらに
『画は上手下手に非ず。描く者の魂が打ち込んであるかないかの差である』と続ける。
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半泥子は心の純粋な人を愛した。
それが百姓であれ、遊郭の主人であれ、会って心の和む人に会いたがったという。
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by maco4459 | 2009-07-25 09:39 | 川喜田半泥子 | Comments(0)

半泥子の茶碗

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数ある半泥子の茶碗の中で私が最も好きなのがこの粉吹茶碗『雪の曙』である。
茶陶には轆轤目、見込み、口縁、高台などに約束事がある。
しかし天衣無縫な半泥子はその囚われを放逸し自由に羽ばたく。

半泥子にとって約束事をきちっと守って作ることはそれほど難しいことではなかっただろう。
それだけの技術は持ち合わせていたからだ。
しかし彼はあえてそれをしなかった。

この茶碗を実際に手にとった千早耿一郎氏はそのときの感想を語る。
『この茶碗を手にして、わたくしはほとんど涙を流さんばかりの思いだった。一見不細工であるにもかかわらず、その茶碗からは、ほのぼのとした何かが立ち上っていた。深い見込み、その深さから立ち上る清冽なもの。あけぼの色のそれを霧と呼ぶべきか、霞と呼ぶべきか。いや、それは精神である、精神と呼ぶべきものである。その精神がわたくしを捉えて離さなかった(中略)わたくしは魂の内奥で茶を喫したのである。深い感動の茶を』
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by maco4459 | 2009-07-22 11:28 | 川喜田半泥子 | Comments(0)