半泥子は、老荘、とりわけ荘子の思想に共鳴していた。
地方銀行協会の専務理事であった田部井俊夫が、戦時中かなり年配であったにもかかわらず招集された。
樺太にいた田部井に半泥子は『無関心であれ、運命に従順であれ、それによって心の自由が得られる』という内容の手紙を送った。
三方も 四方も 丸く おさまりて めでたき 事の 重ね餅哉 半泥子
荘子の話の中で私が憧れるのは無何有郷である。
寂絶無為の地、つまり、音も無く、眺めも無く、仕事も無く、何も考えなくて良い世界。
これが理想の境地だと荘子は説く。
無は即ち極まりなし、有は即ち尽くるあり。
だから無は広大無辺。
なんとも希有壮大な話だが不思議と心が安まるところがある。
半泥子の生き方を辿っていくと老荘の思想が垣間見えるのである。